本をください

 

滝口悠生の作品「死んでいない者」のことをたまに思い出す。衝動が進めば引っ張り出して読み返す。

 

最悪なまとめ方をすると、死んだ者がいて、死んでいない者がいて、死んでいない者の生活は続いていくという話。いいよねえ、淡々としている、そのタンタンのタン、が足裏全面地面についている感じ。

 

先日祖父が死んだから、死んだ者は祖父で、死んでいない者は私だし、その他生きている者である。

コロナ禍のため、私は葬式に行けなかった。彼が死んだということを目で認識することはなかった。

 

そんなもんだから今のところ、私にとって彼の死は昔大好きだった女性アイドルの死と同列とみなされている。亡くなったことは頭ではわかるけれど実感がない。報せを聞いた日の晩に、あの人はこうだったああだったと思い返して、あの人は死んだけれど私は生きるんだなあ、「あの人の死」という事実以外、どんな声でどんな顔で好きな食べ物思想信念なんたらかんたらは全部死ぬんだわ、と無常にたやすく浸るだけ。どこか夢物語のような、聞く人が聞いたら共感能力不足だから医者に行けよと言われそう、それくらい非情。

 

最後に祖父に会ったのは一昨年の今頃だった。彼は呼吸器系の機能がよわってきていたから、もうなんとなく死期が近いことは皆が察していた。私もその例に漏れなかったので、久しぶりに行きたいとかよくわからないことを言って祖父母の家に泊まりに行った。

その時印象に残ったのは祖父の書斎、といってもいかにもな感じではなく、部屋の角に机と椅子、本棚を置いた簡素なものだった。数学系の小難しい本ばかり並んでいて、ちらほら収まっていた天文学の本を見つけた時にはときめきが止まらなかった。ちょうどその時期にブラックホールの撮影に成功したというニュースが発表されていて、大昔に天体が好きだった私はときめいていたからである。祖父もその方面に興味があるなんて、今まで知らなかった祖父の部分を知った気がして嬉しかった。その日の夕食時に、おじいちゃん宇宙好きなんだね、私も好き、ブラックホールのニュース見た?と聞いたけど何やら難しい話をされて終わった。何を話していたのかさっぱりわからなかった。

 

なのでおばあちゃん、おじいちゃんの形見と言っちゃあなんですけど、おじいちゃんの本、私にくれませんか。おじいちゃん、死んじゃったね。私がそれを私にわからせるために必要だと思うんです。

 

 

 

 

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